断捨離で記憶は消したり変えたりできる!

おお…久しぶりの投稿です!

そうそう、昨年末から三週間近く実家に帰ってました。

母親が脳出血で手術・入院して、妹から早めに戻ってきてくれと言われて帰省したんですが、なんかなかなか楽しい日々でした。

ちなみに母はまだ入院中なんですが、とても元気です。

もうね、何日もかけてめちゃくちゃ実家の断捨離しまくりました。

元々私は別に実家の断捨離をするつもりはなく、妹に促されて嫌々やったんですが…。これが自分でもびっくりするほど進みまして。

私、上京する時に押し入れに私物を残して行ってたんですよね。それが結構な量で。

いつかは整理しないとなーとは思いつつ、月日が経ってしまってたんです。

大事な思い出の品だし、実家なんだし、スペースもあるんだし、置いてたっていいじゃん!という甘えもあり…。

あと、正直自分の子供時代・青春時代なんて黒歴史だらけなので見たくないなーという拒否感もかなりあり。

一度手放したらもう二度と戻れない!そんなの嫌だ!子供時代が失われる!ずっと子供でいたい!という、ものすごく強い執着心や未練や愛着心もあり。

とてもじゃないけどあの押し入れの整理なんてできないよ!と思ってたんです。

…それが、今回実際にやってみたらびっくりです。

子供時代や青春時代にとても大事で大好きだったものも、いろんな写真も、友達からの手紙も、思い出の品も、自分が描いてたマンガや絵画も、手に取ってみると正直ほぼいらないなーという気持ちばかりが出てきちゃって。

不思議なくらいポンポンと手放していけたんです。

もちろん精神的にはかなり消耗しましたが…。

でもほんとにスッキリした!!!!!達成感もすごい!!!!!

ここ最近東京の自宅の大掛かりな断捨離をしてすっかり断捨離慣れしてたというのもあるし、自宅の断捨離の時と同じくやっぱりもう価値観がかなり大きく変わってるというのもあるんだよな。

たとえば私が残して行ってたモノのうち結構な割合を占めるのが当時大好きだったバンドに関するモノなんですが、今見たら「懐かしい!楽しかった!」とか「わが青春!」とか「今見ても好き!」という思いよりも、「うーん古いな…。こんなだったんだ…」っていう微妙な気持ちのほうが強くて。

お気に入りのK-POP聞きながらだとそれが余計に鮮明になっちゃって。

やっぱ今の私にはK-POPがあればいいや…むしろK-POPしか見聞きしたくねえ…みたいな。

結局自宅につづいて実家も、K-POPのおかげで未練なく整理できてしまったんですよね。

まあそれはK-POPがあまりにも素晴らしくて…というのもあるにはあるけど、それよりも私が「思い出」よりも「今好きなもの、今価値を感じているもの」だけを取捨選択できるようになったということがすごくあって。

しかしそれが子供時代・青春時代のモノにも容赦なく適用できちゃうとはさすがにちょっと驚きでした。

私ほんと成長というか変化したな…

そして今回の断捨離をする中でもう一つすごく驚いたことがあって。

私の脳ってどうなってんの!?ってくらい、記憶の捏造や美化がめちゃくちゃ行われちゃってたんだ…ってことに気づいたんです。

何があったかというと、たとえば私あるバンドが昔けっこう好きだったんですが、そのバンドがブレイクしかけのころ地元にライブしに来たことがあって、でもそのチケットを私は取ることができなかったというちょっと悔しい思い出があったんですよね。そのバンドはその後大ブレイクしたんですが、私はそのライブに行けなかったのが残念なあまりそのバンドへの興味も減ってしまい、CDは買うものの彼らのライブには結局今まで一度も行ったことがなく…。それをいまだにたまに思い出すくらい、はっきりとそう認識していたんです。

ところが、今回整理してたらそのライブの半券が出てきまして。それも前から2列目というめちゃくちゃいい席のチケットでw

は??めっちゃしっかりライブ行けてんじゃん!!!めっちゃいい思いしてたんじゃん!!!

まじいったい私は何を悔しがっていたんだ?????

…いやもうこんないい席でライブ見れたのに完全に忘れて、あまつさえ記憶すら捏造して悔しがってたんですよ…

ほんまなぜに…

それも、その半券を見たらなんとなくぼんやりと「ああそういえばライブ行ったかもな…」くらいのうっすらした記憶が蘇ってきちゃったんですよ…なにそれ…わが脳よ……

ほんと驚きました。

あともう一つ、私去年の秋に京都に紅葉を見に行っていくつかの紅葉で有名な寺社を回ったんですが、けっこう有名なのに行ったことがなかったお寺というのがあり、そこにその時初めて行ってすごく感動したんですよね。

うわーすごい!なんでこんなに素敵なところなのに私来たことなかったんだろう??京都好きで京都には何度も来てるのに!!って思いました。

ところが今回、大量の思い出ガラクタの中からまさにそのお寺の拝観券が出てきてしまって…

は????しっかり行ってんじゃん!!!全然初めてじゃなかったじゃん!!!

かなり特徴的な建造物があり忘れようがなさそうなお寺なのに、それも私自身お寺や神社が好きでけっこうじっくりと味わいながら参拝するタイプなのに、なぜか自分の中では行ったことがないってことになっちゃってたんです。(ちなみに東福寺の通天橋)

自分の記憶力のなさにびっくりしました。

まあ何度も初めてみたいに感動できるならお得なのかもしれないけど。

あとは過去の自分の写真とか、自分が描いた絵とか、書いた文章とかを見て、自分が思ってたよりずいぶんひどくて愕然とした、というのもありました。ここで言うのもしんどいくらいのかなり強い思い出補正がかかってた…

私の大事な思い出は、今見るとクソサブカル少女の痛々しく呪詛と虚栄と無知と怠惰に満ちた黒歴史のかたまりでしかなかったですね…

写真見るとなんか太ってるし、化粧もろくにしてないし、ファッションも死ぬほどダサいし…

いやしかしもうちょい絵はうまいと思ってたんだけどな…こんなに下手で、その上イタイの…?

思い出に強く愛着していたはずだったけど、その思い出は実際に直視したらとてつもなく恥ずかしくて痛々しく、とてもじゃないけど今の私には受け入れ愛すことができるようなものじゃありませんでした。ショック……。

ほんと記憶ってまったく信用ならない、主観的でしかない、恣意的に捻じ曲げられまくったものなんだなと思い知りました。

で、逆に考えたらこれらのエビデンスを消去しさえすれば、過去なんて一瞬で消せちゃうんだな!!とも強く思いました。

記憶があれほどあいまいで頼りないものならば。あれほどモノという外部の記憶媒体に依るものならば。

証拠物件さえなければ、もう恥ずかしい過去なんてまじでこの世には存在し得ないんです。

というわけでもう、さらに勢いづいてガンガンと断捨離を進めることができたというわけです。

で、手放してしまったらもうほんと楽になりました。

愛せない過去の私はもうほぼ存在しなくて、今の大好きな自分しかいなくなったって感じです。

いや、思い出の品という名の重荷がなくなった分、過去の自分も改めて愛せるようになったのかも。

あの頃の私は必死でイキってたけど、自分のことが好きじゃなかったもんな…。あの、自己嫌悪感と劣等感と恥という汚物にまみれて身動きできずにいた過去の私を、やっと救済できたような感じ。

うん、私は断捨離によって過去の私を否定して消去したっていうよりも、救い出して本来のすがすがしい姿に戻してあげられたのかもしれません。

黒歴史を作ったのは確かに過去の私なのかもしれないけど、でも黒歴史自体は私自身ではないのかも。あの呪詛も虚栄も怠惰も無知も、そしてあの見た目も、べつに私自身ってことではないのかも。

それらはモノという記録媒体と、思い出や記憶としてしか存在しない幻なのかも。

なんつうか…本当の私はもっと素直でもっと美しい存在だったのかも。

…もうそういうことにしちゃってもいいのかもしれません。

まあ断捨離中は「ぎゃーー!!なにこのブス!!!!つら!!!!こんな子とてもじゃないけど愛せんわ~~~」って悪態つきまくってましたが……。

ごめんね私……。

とりあえず、ずっと心の片隅でなんとなく重荷になっていた実家の私物という名の黒歴史を整理することができて本当によかったです。

私は実家を出てからも、離れていてもずっと長年、あの大量の不要物に記録された様々な記憶や感情を引きずって生きていたのかも。

なんというかこれまでより恥や重荷の感覚も薄くなって、行動しやすくなりそうな気がします。

過去を書き換え、生まれ変われたような気分です。

ほんと断捨離って自分自身でできるものすごく強力な心理セラピーなんだろうなって思いました。

しんどいけど、精神に効きまくる……。

というわけで東京の自宅もこれからまだまだ断捨離していきたいと思います。

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