部屋の掃除をなんとか頑張って、ずっとやばいなーやばいなーと思いつつ放置してた場所をきれいにできました…!!
断捨離もけっこうできたし、足の踏み場もうまれてかなり快適になってます。
まあいまだに床の上にモノが多いし、テーブルの上はモノが積みあがったままですが…。
それでもかなりの進歩なので自分を褒めておこうと思います。えらい!!
さて、先日は前回のブログにも書いたようにオタク友達の結婚祝いの飲みに行ってきたんですが、自分でも拍子抜けするくらい特に嫉妬は感じなかったです。
取り残され感はまあまあ感じたけど、でもまあそれほどでもなかったかな…。三人で集まり私以外の二人が結婚するので、その二人で結婚の話で盛り上がってて自分はけっこう蚊帳の外だったんですけどね、それでもさほど孤独感は感じなかったかも。
それよりなんだろうなー、自分はわりと物心ついた頃から「新婚さん」に対して「さみしい、つまらない、味気ない」みたいな感覚をどうしても感じてしまってたんですが、それを今回もけっこう強く感じてしまった。
ああこの人たちも「つまらない」の国に行ってしまったんだな…、っていう。
祝福すべき幸せな友達に対してそんなこと感じるのもどうかと思われるかもしれないけど、これはもう生理的な感覚みたいなものとしてどうしても感じてしまうものなので仕方ないんだ…。
小さな頃から母の友人や親戚のお姉さんの新婚家庭におよばれして行くと、なんとも言えずものさびしい、寂寥感というか虚しさというかつまらなさというか…なにか無味乾燥なイヤな場所に連れて行かれてしまったような感覚に襲われていたんですよね。
新婚家庭のあの独特の、白い壁に新しい家具があって結婚式の写真があってカントリー調のファブリックとかがあって、なんかこうダサくてどこかウソくさくてしらじらしい感じがどうにもいたたまれなくて。
あ~ほんとあの感覚は怖かったなあ、子供の頃は。
この感じ、分かる人にはすごく分かるだろうし分からない人には全然分かんないんだろうな。
自分でもなんでこんな感覚に襲われてしまうのかっていう理由ははっきりとは分からないけど。
ひとつには、真新しい「妻」と真新しい「夫」が真新しい「家族」として、白くてきれいでがらんどうな空間でたった二人イチから真新しい関係を築いていく、っていう個人や個性の喪失みたいなものだとか広大で途方もないリアルだとかを感じて、憧れよりもしんどさや悲しさをおぼえて怖気づいてしまうというのがあるのかも?
築くとか大人になるとか責任を持つとか自分より家庭を優先するとかっていう事柄たちから逃げ出したくなってしまうのかも?
…ピーターパン症候群の女性版みたいなアレの一種なんですかね。
結婚する二人のオタク友達は、どちらとも私よりかなり年下であるにも関わらず、なんか今回自分よりすごく大人に感じてしまったし。
うーーんやっぱこれって私の幼稚さゆえの感覚なんですかね。幼稚だという自覚はすごくある…。
とりあえずは今回、自分が恋愛とか結婚が難しいと感じてることの理由がまたちょっと分かったような気がするのでけっこうよかったと思います。ここに書くことでまたずいぶん整理ができました。
友達の結婚を我がことのように喜べないのは悲しいことなのかもしれないけど、今回に関しては嫉妬とかが原因なんではなくて、私自身が結婚というものに対し本当はあまり良さを感じてなくてむしろ虚しさ悲しさを感じてるんだからもうしょうがないんだ、って思ったし。自分が本心ではしたくないことを友達がしたってさほど心から喜んではあげられないよね、それは私にとっては誠実な感覚なんじゃないの?…って。
でもまあ頭ではやっぱ結婚したいとか思ってはいるので…。そこにまたなんかアプローチできたらいいんだけどな…。難しいけど少しずつ何かしらやっていきたいです。
しかしさ~~、オタクで腐女子でディープな趣味がたくさんあった友人たちが結婚した相手が両方とも無趣味な男性で、夫たちの趣味といったら二人ともポケモンGOくらいなんだって言うんだもん。いやたまたま二人とも趣味がポケモンGOくらいってどんな偶然やねん。
なんかやっぱさ、友達が「つまらない」の国に行ってしまった、って感じてしまってもしょうがないのでは??
うーんこの感覚は私の幼稚さのせいだけじゃないのかもしれないね???
(ちなみに友人たちは夫が無趣味で金がかからないと喜んでいたんですけどね。それもありなんだろうな。とにかく二人とも結婚おめでとう!!)
(あ、ポケモンGOをディスってるわけじゃなくてポケモンGOくらいしか趣味がないっていうのが私にとってはさみしいことだというだけのことです、ただの個人的なアレです、自分は趣味が人生なオタクなもので。高尚サマなクソオタクでごめんなさい…。…相手の性格や生活力よりそんなとこにこだわるところがまた自分の問題なのかな~~それもまた幼稚さゆえかな~~)