去年の今頃、私は「お父さんが死ぬなら私も死ぬ!」って泣いていた

(今回は死とかスピとかの話です)

すごくいろいろと気づきとかがあって、このブログにも書きたい気持ちは山々だったんですけど、なんかねー…ちょっと大きなことすぎてなかなか重い腰が上がらず…。

でもまあそろそろ書いてみよっかな。

しばらく実家に帰ったりしてました。

実は闘病中だった父親が、1/29の満月の日に天国に旅立ってしまったんです。

医者に「余命一年」って言われてたけど、残念ながら一年もたなかったな。

で、すごいんですが…、

私全然落ち込んでないんですよね。

正直ほとんど悲しくなくて。

一年くらい泣き暮らすことになるのではと危惧していましたが、わあわあ泣いたのは死の知らせを聞いた時とお葬式の時くらいだったかも。

いや父親のことはすごく愛してるし、もう会えないのはすっごく悲しいし寂しいんですけども。

でもなんだかねー…

まるで長い何かが終わって新入学とか新学年が始まったみたいな感じで、不安や寂しさはありつつもこれから何かしらフレッシュな「いいこと」が起きるような感じで。

お父さんの死が、死というよりも「卒業」に近い感じで。

お父さんよかったじゃんおめでと~~!って感じで。

なんだろうこの感覚は??って不思議なんですよね。

今回のことでほんと分かったんですが、いつのまにか私の中で死生観みたいなのが完全に確立しちゃってたようで、人の死がもうあんまり怖いこととか悲しいこととかじゃなくなってしまってたみたいです。

自分たちが本当は魂とかいわれる存在なんだってことを今はもう腹の底から信じ込んでしまってるんですよね。頭ではなく、ほんと腹の底で。(宗教とかはやってないですよ。いやスピリチュアルに出戻りしましたね笑)

私去年の今頃、父親が倒れて入院して「余命一年」なんて言われた時にはもう世界の終わりみたいに感じて「お父さんが死ぬなら私も死ぬ!」なんて言って泣いてたんですけどww

や、もうまじで全然悲しくないし、お父さんが死のうが生きようが私は私の命を生きるし、死ぬときには私の好きなように死ぬし、って感じで。

なんなのこの変わりようは。

この一年でほんと意識がガラッと変わってしまってたみたいです。

実家で飼っていた愛犬が亡くなった時には半年間毎日のように泣き続けていたし、その後もずっと何年も夢の中で愛犬に会っては泣きながら起きたりしてたし、もともと死というものが本当に受け入れがたい、喪失に弱いタイプの人間だったはずなんですけども。

今は死ってなんか軽やかなもの、文字通りの「旅立ち」みたいに感じてるし、人の実体は肉体ではなく魂なんだと思ってるというか「わかって」ます。

そしてたぶん人にとっては「死」こそが一番恐ろしいんだけど、「死」の本質が分かってしまってもう怖くなくなってしまったら、人生においてあまり怖いものがなくなってしまいますよね。

むしろ本当に恐ろしいことが他にあるって気づけたりもして。

死よりも恐ろしいのは自由を失ったり、自分らしさを失ったりすることなのかもしれません。

お父さんはちょっとその点では自分らしい人生を生きられてはいなかったのかも、とは思います。被虐待児だったし、善きことと信じて子どもの虐待も、自己虐待もしてたと思うし。昭和の男はいろいろと大変だ…

でももうその重たい肉襦袢や重たい観念は手放して、新しい世界に行ったんだ。

スピ業界で言われてる「風の時代」にかこつけるようですが、お父さんはまじで「千の風」になったんだよねー当然お墓で眠ってなんかいないんよね。みずがめ座生まれの男だし、たぶん自分でこのタイミングに風に乗り、新しい人生をまた始めることを決めたんだろうなって思いました。

あんなに恐れてた死って、実はこんなに軽やかでさわやかなものだったんだな…

今週、四十九日があるのでまた実家にしばらく帰るんですが、お母さんと妹と私、それぞれ新しい人生が始まるようでなんか楽しみにすら感じています。二人もびっくりするほど落ち込んでないし。

てことで自分の意識の変化についてとか気づきについてまた書きたいと思いますが、とりあえずこのへんで。

3/20の春分の日は宇宙の元旦、それも風の時代最初の元旦ですごく重要な日って言われてるようですが、お互いに素敵なスタートの日を迎えましょう~~

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