普通の女として「擬態」して生きることの地獄 「ダルちゃん」を読んでイライラモヤモヤしたり共感したりしなかったりしたこと

ツイッターで話題になってた「ダルちゃん」を読んでみたんです。

「普通の女に擬態して生きることの地獄」を描いた漫画なんだそう。

この後ちょっとネタバレ的なことも話します↓

これ、ダルダル星人というのはたぶんメタファーで、生きづらさだとか「普通の人」「普通の女」ではないということだとか、純粋さセンシティブさ、ちょっと大げさに言うと発達障害的なことをそこに仮託してるんだろうなとは思いました。

ダルダル星人の姿になった主人公を見ても誰もギャーー!!ってならないので。

で、個人的な感想としては、まずはこの主人公って別に「普通の人」だよなーって思ったんですよね。いたって普通。

私から見たら。

私や私の周りの生きづらさを抱えた女たちから見たら。

擬態であれ何であれ、普通に仕事できて、普通に人間関係築けて、普通に恋愛できて、普通なのかどうなのか好きな男とすぐにセックスできて、普通に好きな男と付き合って、幸せを感じて、普通に別れて。

まあよくいるちょっとセンシティブな文化系女、サブカル女、ナチュラル系女のたぐいですよね。

子供時代のエピソードにちょっと「はずれもの」として扱われるシーンが描かれてるだけなんだよな…

擬態できる程度の「普通じゃなさ」なんだよな…

「苦しみも絶望も私たちを離してはくれないけど」なんて言っても

作中描かれたダルちゃんの苦しみって

好きなこと(詩を書くこと)をするために好きな男と別れたことと、好きじゃない男についてホテルに行った(が、何もされず無事だった)ことくらい

なんかたぶんこのブログに来てくれてる人とか私とか私の周りの人たちって、それどころじゃない子供時代をすごし、擬態なんてできようはずもないくらいの人間社会への溶け込めなさを感じて生きてきたんだと思うんですよね。

それこそうつ病やパニック障害になったりとか。不登校やニートを経験してたりとか。

なんとか社会に属していても、真っ当な人間関係なんて築けず人からバカにされ利用され怒りに満ち自己嫌悪でぼろぼろで。

けどダルちゃんのような「普通の女」たちが、こんな”普通さ”に恵まれてても

「私って人と違う。私って生きづらい。社会に出てるときの私って本当の私じゃない。」

みたいなこと思いながら生きてたりするのなら。

そしてそれがこうしてドラマとして語られて、多くの女たちに共感され感動されたりしてるのなら…

じゃあそんなもんじゃないとてつもない地獄に生きてる(生きてた、乗り越えてきた)私たちってすごくないですか???

えらーーーーい!!私たちほんとにえらーーーーーい!!!!

ほんとにえらいしほんとにがんばってるしほんとすばらしいーーーーーーーーーー!!!!!

…そう思ったのでした。

これがとにかく一番の感想。

ほんとよくやってるな~~私たち。

生きてるだけでめっちゃ重たいダンベル抱えてる。つよいな~~~~えらいな~~~~~

でも一方で私、実は最近ではこのダルちゃんくらい「擬態」して生きられてると思うんです。

「擬態」できるようになるためにほんとめちゃくちゃいろんなことやってきて自分を変えてきたので、最近では初期ダルちゃんみたいな「ふつうのハケンシャイン」になれてるんですよね。

今の職場がいいのか、大嶋先生の心理学?を実践してきたからか、なぜか最近ADHD的なことで困ることがめっきり減って。人ともしゃべれるようになって。ほんと不思議なんですが…

擬態できてることはとても誇らしいです。

普通の人に見えるっていうことはとても嬉しい。

ずっとずっと、長年手に入れたくて入れられなかった宝物がいつの間にか手に入ってた。

でもしんどい。

いつ本当の姿を見られてしまうかと怯えながら生きてる気がします。

人当たりいい人間に擬態してるくせに、擬態がばれるのが怖くて結局人に近づくことができない。

もっと擬態しなきゃという強迫観念もある。

それにすぐ疲れて一人になりたくなる。

誰もいない一人暮らしの汚部屋に帰って、どうしようもないクソ腐女子としてオタク活動してるときのほうが本当は幸せ。

ダルちゃんに対して何かモヤモヤ感を感じてしまうのは、こいつ大して苦労してないじゃん恵まれてんじゃん普通じゃんっていう妬みだけでなく、擬態してる人間に対する同族嫌悪も強く感じてるからなんだろうな。

ダルちゃんにこんなにも気持ちが反応するっていうことは、そこに自分の姿を見てるからなんだろうな。

これはこれでこのお話にとても強く共感してるんだろうな。

こんなにモヤモヤできるっていうのはそれだけダルちゃんというキャラがリアルに生きてるからなんだろうな。

ダルちゃんが最後に

「素の自分も悪くないと思えたら擬態も苦痛じゃなくなった、擬態している姿も自分自身だと思えるようになった」

みたいなこと言うけど、

たぶん擬態できるようになった私が次に目指して行くべきなのはそういう方向なんだろうって思いました。

擬態自体は手放さなくていいし、やっぱり自分が生きていくうえでとても大事な物なんですよね。

ゆるぎない自己肯定感に基づいた「自動操縦の擬態」「気楽で快適な擬態」ができるようになって、当たり前のように普通の人として生きながらも自分らしさを殺さずにいられたら最高だろうな。

私は私のために生きていて、私が幸せになるために生きていて、だから本当は自分らしさを殺して生きるのは違うんですよね。

とにかくやっと普通の人として社会に出回れる人間に「擬態」できるようになれたのは本当に素晴らしいことなので、それはそれで自分を褒めておこうとおもいます。

私ほんとよくやってる!!ほんとにえらい!!!

まあ普通の人っぽく見えるようになっただろうと思ってるのは自分だけで、人から見たら挙動不審などうしようもないコミュ障独身腐女子おばさんかもしれないですけど。

というわけでいろんな気持ちにさせてくれた「ダルちゃん」なのでした。

※無料で読めるのは10/31までとのこと。

追記:なんとなくいい感じにまとめた風な感想にしちゃったけど、やっぱこの「ダルちゃん」私にはあんまりピンとこないですわ…「ダルダル星人」が結局何を指しているのかがわかんないから釈然としない…

ネット上で同じくモヤモヤしてる人たちがいろいろ解釈してて、「身なりに気を使わない人」を示唆してるんじゃ?っていう説がけっこう支持されてるみたいでしたが、果たして…??

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