「お金へのアレルギー」は…ある!!

今大嶋信頼先生がブログで書かれてる「お金」や「幸せ」へのアレルギー反応、自分には絶対すごくある!!って思いました…やばいです…やばい…

先生が言われてるように、私も成功しそうになったところでなぜかわざわざ自分からぶち壊しにしてしまうんですよね。

これまで大嶋先生はその自滅してしまう理由として他人からの嫉妬の攻撃で足を引っ張られるから、っておっしゃってることが多かったと思うんですが、でもやっぱ私の感覚ではそれもあるだろうけど自分が自分の足を引っ張ってる、自分が自分をわざわざダメな方向に行かせてる、っていう感じもあったので…この「アレルギー症状」っていうのはとても腑に落ちる感があるのでした。

うーーん、頭ではお金大好き、お金欲しい!!って思ってるはずなのになぜかお金を遠ざけるような行動ばかりしてしまってて、なぜなんだろう…と思ってましたが、アレルギーだとしたら自分の考えではどうにもならないですもんね。納得だ~~

ちょっと自分のことを顧みてみると…

幼少期の実家はまあまあ普通の中流家庭だったんですが、父がすごくお金の話をするのを嫌っていて、汚い物のように言っていたんですよね。母が私たち子供がいるところで何かの値段の話をしようとしたらすぐに「子供の前でお金なんかの話はするな!」ってよく言ってました。そのころはそれが普通だと思ってたんだけど、今考えたらなんでやねん!!って感じですよね。

そして案の定というか、私が大学生のころに実家はド貧乏に転落。そして家族も崩壊寸前まで落ちていき…。。。。

父はすごく貧乏ですごく問題の多い家庭で育っていたので、今思うとなんだかそのデフォルト状態に引き戻されていったような感じ、父にとっては崩壊した家庭もなにか「あるべき姿」に戻っただけのものだったのかも。

父は幼少期から貧乏でひどい家庭に育っていたから、なんだかお金や幸せへの抵抗感、アレルギー症状があるのかもしれません。

そして私もきっとそれを受け継いでいる…。

よく心理学系の人とかスピ系の人とかが「お金のブロックをはずしましょう」みたいなこと言ってて、お金のブロックってなんなん?どうはずすん??wって思ってきたけど、今回大嶋先生がおっしゃってる「アレルギー」説ならなんだかすんなり自分の中に入ってくるな!って思ったんですよね。

心理的・スピリチュアル的なほわっとしたものというより、もうなんだか体質だとか体の反応みたいなものなんだと理解しちゃったほうが自分にとっては早いわ、と。

アレルギー性鼻炎で年がら年中つらい思いをしてるから、アレルギーっていうものが実感として理解しやすいし。

たしかにこれは意思の力でどうこうできるものではないわ、って分かるし。

うん、ほんと分かりやすい!

で、じゃあどうすればお金へのアレルギー反応を沈静化できるのか?ってことですが、大嶋先生がお金のアレルギーの対処法として紹介されてるのがなんかの薬やワークや体質改善法みたいなものではなく、ただ「私はお金持ちを許します」と7回唱えること、っていう……。ほわっ……。。

…いや正直ほんとこんなので効果あんの??ってちょっと思ってしまいそうになるけど、でもこれまでも大嶋先生が提唱されてる遺伝子コードや呪文などずっといろいろ唱えてきてなんとなく効果も感じてるし、それになにか言葉の持つ力っていうものを自分なりにすごく信じてもいるので、今回も一心に信じて唱えていこうかなって思ってます。

(まあこれまでけっこう忘れて唱えなくなった言葉もいろいろあるんだけど…)

アレルギーのせいでお金や幸せを排除したり過剰反応しておかしな行動してきたんだとしたら、ほんとに自分ってかわいそうだな…自分ではどうすることもできないまま何もかもを拒否してダメにしてきたな…。

過ぎた人生は取り返しがつかないので、そのことを思うとすごく虚しく悔しく悲しくなります。

でも大嶋先生のブログで知った聖書の言葉、「すべては時に適って美しい」という言葉を胸になんとか生きていこう…。前もこの自分のブログで語りましたけど、この言葉ほんと好き…!

あっすげーどうでもいい話なんですけど私野球を見るのがけっこう好きなんですが、野球ってほんと面白いですよね。人生みたいなところがすごくある。

そしてどんなに難しく苦しい試合でも、最後に勝てさえすればなにもかもが良かった!!って気分になれる。というかむしろ超苦しい展開だったほうが結果として面白かった、って思える。

点が入るヒットをタイムリーヒット、適時打っていうじゃないですか。

時に適ってるヒット。

なんか自分もその適時打を少しずつ打っていって、今はまだまだどうしようもなくダメな状態だけど、最後に笑える人生だったらいいなあって思うんですよね。

そしてどんなに苦しい試合運びだったとしても最後に笑えさえするのなら、ヒットどころか凡打だってエラーだって「すべては時に適ってた」って思えちゃうんだろうなって。

…で!!

聖書の「すべては時に適って美しい」という言葉を信じて生きるとすると、今の私の人生のエラーばかり、失点ばかりのこのひどい状態ですらこれはこれで本当は完璧な状態、実は時に適った美しい状態ってことになるんですよね。

最後に笑えるんだから、そこへの道筋でしかないんだから、って。このゲームは勝つゲームなんだから、このエラーすら悔しがりながら楽しんでいいんだから、って。

えーーーなんかすごくないですか?????

実際に先のことなんてどうなるか誰にも分かんないけど、でも分かんないからこそ今悩んだり不安になる意味もないし、なら好きなように設定したほうがいいし。そんで今「すべては時に適って美しい」という言葉を信じて生きるだけで、なんだか一瞬で何もかもが解決してしまって、ダメさ苦しさしんどさすら美しく感じられるようになるなんて!!

まあ屁理屈っちゃ屁理屈なんだけど…

めっちゃしんどすぎる時にもこう思えるかっていうと全然自信ないですけど…

それでもなんだか言葉の力ってやっぱあるわ、すごいわ、って思うんですよね。

ということで言葉を唱えることの意義や効果を信じ、私は今回も大嶋先生の「私はお金持ちを許します」x7って言葉を唱える、っていうのをせっせと続けてみようと思います!

あ、あと「私は幸せを許します」もね。

は~~それにしても人生を野球にたとえるようになっちゃうなんて、私もなかなかウザいおっさんになったもんだな…。まあおばさんなんだが。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク