昨日「もうマンガなんて描かない」とか「キレイになりたい」とかってこのブログで言ったんですが、そのすぐ後ちょっとそれに関係するような出来事があったので書いておこうと思います。
昨日ブログ書いた後で最近友達になったちょっと年下の女子と飲みに行ったんですけど、その時お互いにあれっ??ってなることがありまして。
ところで私容姿にすごくコンプレックスあるし、昔から自分の肌とかすごく汚くて見られたくないし見たくもないって思ってたんですよね。
脂性なので毛穴ひらきまくりテカリまくりでニキビの痕もひどくて。
逆に周りの人たちはみんなすごくキレイに見えてうらやましいんですよ。
私だってキレイになりたい、でも全然無理だ絶望だーーってずっと思っていました。
ところが昨日友達に「肌がすごくキレイだね」って言われたんですよ。
「肌がキレイだから年齢よりすごく若く見える」とも。
私びっくりしちゃって、「えっ!?!?全然そんなことないよ、肌が汚くてコンプレックスなんだよ、キレイなんて言われるの初めてだよ!!」って言ったんですが…
そういえば「肌がキレイだね」って言われるの、実は初めてじゃなかったんですよね…。
よく思い返すと、これまでも人から何度か言われたことはあったんです。
でも自分自身が「肌が汚い、死にたい、絶望!!!!!」って思っていたから、どんなに褒められても「ウソを言ってる」って思ってしまって受け入れられなかったんです……
だってほんとに汚いんですもん。
全然キレイじゃないんですもん。
これがキレイだなんてどこに目がついてんだ?としか言いようがない…
見りゃ分かんだろ、毛穴だらけでぼこぼこで、脂ぎっててべとべとで。
これのどこがキレイなんだよ、下手な慰めはやめてくれ…!!
だけど昨日飲んだ友達は、
「えっすごくキレイじゃん。シミもないしつやつやで…」って言ってくれたんですよね。
そういうあなたのほうがさらっとして毛穴一つないような色白のお肌ですごくキレイなんですけど…??
するとその人、「いや私はシミもあるしアトピーも少しあるので赤味があって…」って言うんです。
そう言われてみればちょっとだけシミがあるかな?
あと、さらっとした乾燥肌だからシワもあるかな??
でもこっちからしてみれば全然気にならないしめっちゃうらやましいくらいの美肌なんですけど…
いったいなんでお互いこんな認識が逆になっちゃってんの????
…ここでやっと気づきました。
お互いに「自分はダメ」「人はOK」っていう思い込みで見てるから、それぞれきれいな肌をしているというのに、相手の肌はキレイに見えて自分の肌はいまいちに見えてたんだなって。
彼女は自分の肌のシミや赤味にばかり注目してるからそれがない私の肌がキレイに見えたし、私は毛穴やにきび痕や毛穴の黒ずみに発狂してるからそうじゃない彼女の肌がすごくキレイに見える。
コンプレックスのありかやレベルでキレイの基準が変わってくるんだ…!
はあ…こんなに目に見えて明らかなはずのことですら、自分がどんなバイアスの眼鏡を掛けているかで全然違って見えちゃうんですね。
人は共通の認識の中で生きてるってわけじゃ全然ない、世界の見え方はほんとに人の数だけちがうんだ…。
自分がどこにどれくらい劣等感を持っているかでその人の世界はそれによっていくらでもゆがんで見えてしまうし、たとえ良いものを持っていたとしてもそれが良いものに見えないどころか醜いものに見えたりもするんだなって。
……。
ああああ~~~~!!!!!!
眼鏡を変えたい!!!!!
この、低い低いセルフイメージの眼鏡を!!!!!!!
「世界を作ってるのは自分だ」なんてよく言われるけど、リアルにほんとそうですね…。今回すごい実感した…。
けど、今大嶋先生の「自己肯定感が低いあなたがすぐ変わる方法」と「嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法」を読み返したりしてるとこなので、今回のできごとってそこと連動して起こったことなんじゃないかなってちょっと思ってたりします。
自己肯定感が少し高くなったから、人の口を介して「キレイだよ」って言ってもらえたのかも。
嫉妬の恐怖が少し減ったから、それを言ってもらえたしそれをやっと受け入れられたのかも。
そう思うとちょっと希望がわいてきた…
このブログに「キレイになりたい」って書いたあとだったのもあって、なんかそういう自分の気持ちが現実に現れたんじゃないかなっていう感があったりもするんですよね。
そうそう、それと私以前もこのブログで言いましたが、脂性なのにあえて石鹸をつかわないお湯だけの洗顔法をしてるんです。角質培養(垢ため)っていうんですけど。
これ、私にとっては自分のコンプレックスである脂をあえて残すっていうかなり勇気いる美容法なんですけど、逆にかなりいいんです。
美肌作りのメカニズムとしてもいいんだろうけど、コンプレックスの元になってるものにあえて対処しない、むしろ活かすっていうのが恐怖や劣等感を手放すことになるというか精神的にも効いてる気がする…。
恐怖ゆえにいろいろな美容液をぬったり洗顔だの脂取りだのをこまめにしてきたわけだけど、それらの対処法や美容用品をまずはなくすっていうのは結果的に恐怖自体を消していけるというか、断捨離的な感じで水面下で働くすごい効果があると思うんですよね。
これやるようになってから肌が汚いっていう劣等感も減ったし、実際に以前よりちょっとキレイになってるとも思うんです。皮脂に守られてるおかげかシワとかマジで全然ないし。
気が向いたらやってみてください。
断捨離にも通じる?すごい効果 角質培養&タモリ式入浴法をゆるゆるっと4年くらい続けた結果
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それと昨日ね、ちょっと久しぶりに昔描いた自分のマンガをぱらぱらっと見てみたんです。
「もうマンガなんか描かない!!」ってこのブログで言った後に。
私自分のマンガはもともとはすごく好きだったんですけど、なかなか売れないし原稿料はめっちゃ低いし、ここから抜け出したくて他の出版社に持ち込みに行っても全然ダメだったし、そもそもやる気もどんどんなくなっていっててやっつけ仕事になっていって自己嫌悪がひどいし、売れてる他人への嫉妬や怒りばかりつのるし、そんな風にとにかく自分を責めていった結果、自分のマンガってとても下手くそで汚くてださくて恥ずかしくてとてもじゃないけど人にお見せできるようなものじゃない、って思うようになっていってたんですよ。
もうね、自分のマンガ読み返せなくて臭くて醜いものにフタをしてるような状態になってたんです。
なんですけどね~~、昨日えいやっと勇気を出して昔描いた一番お気に入りだったマンガを読み返してみたら、すっごく面白いし絵柄がすごく自分好みだし愛情みたいなのも感じるし、えっこれすごくいいじゃん誰が描いたの???私かよ!!!!!って思ったんですよね…
認識がね、こちらもひどくゆがんでしまってたんです。
「漫画家なの?いいねーすごいねー」って人から言われるたびに「いや全然すごくないです、下手くそだしマジ素人以下です、無名だし全然お金にもならないんです、ひどいもんです」って長年答え続けてたんですが…
実際に本気で(他の人とくらべて)すごく下手くそだって思ってたというのもあるし、謙遜のつもりもあったし、あまりそこに注目されたくない、恥ずかしい、つまらないものだと思って看過してほしい、っていう思いもあったし、でもね~~~「嫉妬されたくない」っていう思いもたぶんすごく強くあったんだと今になって思うんです。
だから自己卑下をひたすら繰り返してた。
大嶋先生の嫉妬の話をいろいろ読んで学習した後である今なら、それがどんだけ危険な悪循環を招いてたか分かるんですけどね…謙虚はダメですね…
そういえばバイト先の年上の女性に「見せて」って言われて自分のマンガを貸したことがあったんだけど、数日後「ありがとう」とか「面白かったよ」とかのひと言もなしに「はい、読みました」って返されたことがあったんですよね。
その人のその時の顔が、マジで能面みたいな仏頂面だったんですよ!!
その時もちょっと「嫉妬されてる…?」っていうのがうすうすはあったんだけど(その人はマンガとか関係なくつねづね若い私に対して何かと嫉妬してる感じがあったし)、でも大嶋先生の嫉妬の発作の話を知ってる今となっちゃ完全にあいつ嫉妬の発作を起こしてたんだな!wwわかりやすっ!!wwwて思う…。
その人がマンガ描きたいかとかそういうのまったく関係なく、別に自分がやりたいことじゃなくっても、ただやりたいことをやってる人間が憎い!調子のろうとしたらつぶしてやる!みたいな嫉妬の発作は人間の群れの中でしょっちゅう起こってるし、それが怖くてわざと自分をダメな存在に見せかけようとするっていうのもしょっちゅうお互いにしあってるんでしょうね。
そういうのの繰り返しが、私からもどんどんやる気や自己肯定感を奪っていってたのかもしれないんですね…
まあ私のはただの怠惰なのかもしれないけど(謙虚)。
でももうそんなただの発作を怖がらなくてもいいのかもしれないなあ。
昨日「夢を手放したら楽になった」って言いましたが、ほんと今はとても楽です。
もう無理してマンガとか描かなくていいってほんと思ってる。
ただやっぱ自分のマンガを読み返したらとても好みで面白かったので、いつかまた描いてくれたらいいのになってファンのひとりとしては思ってる…