ウーーッ!!
『本質が見えた時に「みんな子供なんじゃん!」ということがわかるから「そんな大人のはずなのに!」という気持ちが湧いてきます。
でも、自分の本質を見たときも「あ!私も一緒で子供なんだ!」ということがわかる。』
からの…
『確かに、大人に愛されたい、という気持ちから、周りの人たちを「大人!」と一生懸命に認識しようとしていた。』
『でも、自分が求めていた大人の愛が帰ってこないのは「みんな本質は一緒で子供!」だったから。』
っていうやつ…
すっごくガツンときた…
「あなたたちは大人だ、大人のはずだ!私はダメな子だから助けて、見逃して、許して、認めて!!」
ずっと、ずーーーっとこれをやってきてしまったんですよね…
とくに親に対して。
まわりの人たちに対しても。
そして弱い立場、子供の立場というポジションを死守しようとしてた。
うーーーん、私は本気で自分のことすっごく弱くてダメでなんにもできない人間だと思ってきたけど、自分でそういうポジションに就こう就こうとしてきたところがあるのかも…
そうすれば「親」「大人」からの愛がもらえると思ってたんです。
でも得られない→勝手に失望→また手のかかる子供を演じる、という悪循環…
まえブログで書きましたが、私ずっと大嶋先生がブログで『「一体感」て言葉を唱える』ってことを書かれて以来、その言葉を頭の中で唱え続けてるんです。
そしたら不思議とだんだん周りの人たちが自分と同じような存在に感じられるようになってきたんです。
なんか言い方悪いけど、でも「いい意味で侮れる」ようになったというか…
以前はみんな私よりすごく高いところにいて(または低いところにいて)、自分とは全然ちがう存在だ、ああみんなとても立派で私とは比べ物にならないや、と思って畏れていたんですけど(いっぽう低いところにいる人に対しては理解できないくらい低い存在、と切り捨ててた)、最近やっと「いや、同じ人間じゃん」って思えるようになってきたんです。
そしてすごく神聖視してた、頼りきってた母親に対しても、とうとう「同じ人間なんだ」「私と同じ、苦しんだり悲しんだりひがんだりズルしたりする存在なんだ」みたいな感覚がだんだん生まれてきたんですよね。
これとても心もとないんですけどね。
私にとって母親に対する思いって宗教みたいな、偶像崇拝みたいなものなので…
そこから目を覚ましてしまったら、ただの偶像だって気づいてしまったら、私はこれから何に酔って生きていけばいいのか。
それとも酩酊してなくても人生はそんなに怖がらず生きていけるものなのか。
ああ~~
でもじつは私子供の頃から「大人のポジション」を母とお互いに押し付けあってた感もあるんだった…
母は母で、わざとバカなふりとか弱いフリとか天然なフリをするんですけど、それがすごく不快だったんだよな~~~
私「お母さんのお母さん」みたいな役を、子供の頃からしてるとこもあったんだ…
しっかりしなきゃ、しっかりしなきゃってムダに頑張ってたし、母に対してやたらと傲慢な態度の子供だったし、そしてそんな自分が恥ずかしくてとても嫌いだった。
よくわかんないけど、子供のポジションをよりによって母親に譲って?いたような、奪われて?いたような。
だけど大嶋先生が言うように、みんな本当は子供なんだったら。
もう大人役を押し付けあったり、子供のふり弱いフリをことさらにしたりすることはしなくていいというか、そんな奪い合いみたいなのは無意味ってことになりますよね…
これ、自分で自分を愛するしかないっていうこと、「無意識さん」とかに守ってもらうしかないっていうことなのかな。
でも私はマザコンだからお母さんの子供でいたいの、お母さんに、他者に、守られていたいのにーーーー!!
はあ…
大嶋先生が言われてる心臓の拍動??を聞いたところで、母親から与えられるような安心感が得られるなんて正直とても想像できないですけど…
なんのこっちゃって感じですけど…
でもちょっと信じてやってみようかな?
不整脈持ちなので心臓への信頼感自体が低いんですけど…
まあなんか安心感得られるようになったらいいですね…やってみる…。