人から嫌われると自分の世界の純度が上がってキレイになる

こないだ書いたことの続きというか、ショックなことが起きたっていう話についてなんですけども。

詳しくは書きませんが、ちょっと前に自分にとって大事な相手を怒らせてしまって、謝罪してもダメで、そしたら最近になってじつは怒ってるというより嫌われてたのかも!っていうことに気づくことがあって。ほんとそれがめちゃくちゃショックだったんです。

それで、たぶんこのままなかなか関係修復できないんじゃないかなっていう状況なんですよ。絶望…

めっちゃショックで悲しくて、どうしよーってなって、とりあえずakikoさんがよくYouTubeで紹介されてる「電球付け替えのブロック解除ワーク」ってやつをお風呂の中でやってみたんです。

手放したいネガティブな気持ちを感じて心の中で古い電球をみて、それを外してぽーんと宇宙に放り投げて、宇宙から新しい電球を投げ返してもらって、付け替えた新しい電球の光を見てポジティブな感情を味わうっていうやつ。

この時勝手に新しいポジティブな感覚がやってくるんですけど(たぶん潜在意識が勝手にやってくれる)、けっこう毎回「え!そういう!?」っていう意外なものが来るのでめちゃくちゃ面白いんですよ。

私が今回「あの人に嫌われてたんだ!どうしよう、もう関係修復できないかも…!」って絶望を感じながらその”絶望電球”を外し、宇宙から新たな電球をもらって電気をつけてみたときに感じたことってなんだと思います?

「大丈夫だよ、きっといつか仲直りできるよ。安心安心^^」とかが来るかなって思ったんですけども…

なんと!

「嫌われてよかったじゃん!私を嫌いな人から嫌われるってことは、”私の世界”の純度が上がるってことだよ!!どんどん正直になって嫌われて、どんどん世界をキレイにしよ!」

だったんですよ…www

これぞ無意識さんからのメッセージ…wwww

いやいや、「私を嫌いな人」っていっても恩ある大事な相手やぞ?下手(したて)に出て謝ってなんとか関係修復すべきでしょ!!

…っていう思考ももちろん沸きましたが、それより「あ~~~~軽くなる~~~~」っていうほっとする感覚のほうが強かった。

好きな人・大事な人から嫌われる、って思ったらたしかにすごくつらいし悲しいんだけど、でも人から嫌われること自体はつらくてもすごくスッキリすることなんですよね。

強制断捨離って感じ。しんどいけど、その分スッキリ感も強い。

私を嫌いな人はどうぞ嫌って私から離れていってください、私は私のことを好きな人たちだけに囲まれて生きていきます、って。実際最近どんどんそうなってるし。

…まあそんな簡単には割り切れないですけどね…愛や恩や思い出がすさまじいですから。でもふだんなかなか割り切れないものだからこそ、気づきもでかいぞ、って感じです。

それになんつうか…気づいちゃったんだけど、私もその相手のこと、そんなに好きではないわ。愛とか恩とか思い出とか関係性とかを抜きにしてしまったら。愛してる(愛着してる)とは思うけど好きじゃない。

すべての記憶を失って完全なる他人としてその人が近くにいたら絶対仲良くならないし、正直かなり苦手なタイプだわ…。

離れて当然っちゃ当然なんだよなあ。

話は変わるけど、私もう2ヶ月近く、最愛の推しが出たある映像作品のことでずっと怒り続けてるんですよ。何度もこの話してるけど、まだ怒ってるの。しつこい性格だから。

ほんとに胸糞悪い稚拙で倫理観もない弱者いじめの感動ポルノのくせに、さらにはその弱者を盾におためごかししてる卑怯で最悪な作品だ!!って感じてて、みんなだってそう思うでしょ??って思ってたんだけど…

レビューを見ると、絶賛評のほうが圧倒的に多いんですよ。もうほんとびっくりしちゃって、これはなんの悪夢だ?ほんとに同じ作品を観たのか?って恐怖すら感じて。

「この作品で感動できる感性の私でよかった!この作品で感動できる人と友達になりたい」「この映画をつまらないとか言ってるような人とは仲良くできないだろうなww」とか言ってるやつもいて、ウッセーー!!お前らみたいな脳みそウンコどもと仲良くなんてするわけねーだろこっちから願い下げじゃボケ!!ぜったい私の世界に近づいてくんなよ脳みそペラペラお花畑どもが!!!!!って憤慨してたんです。

だけど私と同じ感覚で、「これはあまりにひどいでしょ、高評価の意味がわかんない」って言ってる人達ももちろんたくさんいてくれてまして。

その人達と、ネット上でつながれてることがすごくすごく嬉しくて救いになったんですよね。あ~~~よかった~~~この世界、狂人ばかりじゃなかった~~~~正常な人間に会えた~~~ってすごくほっとした。

そこでほんと分かりました。そもそもの「通じ合える人」と「通じ合えない人」っておそらく絶対的なものなんだなって。私はあのクソ作品に感動しただの泣けただの言ってるようなクソサイコパスどもとはほんとに絶対仲良くなんてしたくないですし、たぶん絶対にできないですもん。なんか根本的なところが全然違う。

彼らが悪いとか(いや私にとっては悪いが)、彼らがバカで分かってないとか(いややっぱバカだし分かる知性も教養もないだろうが)っていうんじゃなく、とにかくもう感性や思考や思想がまったく違う。見た目がちょっと似ててもイルカとサメがまったく別の生き物であるように、ほんっとにまったく違う。

たぶんできるだけ住み分けたほうがいいんだろうな。

私は私の感覚が一番大事、それだけが大事。これはもう絶対。

これを守るにはほんとは自分ひとりの世界にいるしかないし、そうじゃなくても自分と合ってる人とだけいるしかないんですよね。

それをしたら世界が狭まりはしますけど、自分の世界の多様性は失われるかもしれないですけど、でもすごく純化されるなーって。自分の中から欺瞞や歪みがなくなるなーって。今はそれでいいじゃん!って。

大嶋信頼先生が「全然違う相手には原住民に接するように敬意を持って接し観察しましょう」みたいなこと言われてたし、世間的に言われるダイバーシティ、みんなちがってみんないい、いろんな意見を受け入れましょう、みたいなのも分かるけど…、でも今はそれじゃないわ!って。

自分を削ったり濁したりしてまですることじゃないわ、今は。私は軽くクリアになりたいんだよ、今は。

イルカがサメを受け入れようと努力するのは、まあイルカによっぽどヒマとエネルギーと好奇心が有り余ってる時だけでいんだよ。今の私はそんな無駄な努力とかして濁ってるヒマないんだよ!

…そこで「嫌われる」という浄化です。

私を嫌いなタイプの人、私と合わないタイプの人っていうのは絶対的に一定数いて、そんな人達から好かれようなんてする必要も意味もまったくない、そんなことをするだけ無駄だし、無駄どころか自分の世界を汚し濁らせることになる。合わない人達からはむしろズバッと嫌われてお互いに離れたほうがスッキリ軽くなってキレイでいられるんだ、って気づきました。

そういえば大嶋先生の本「あなたの才能があなたを苦しめる 」に、「通じ合えない喜び」っていう言葉があって、それもすごく救いになったなー。パワフルな言葉ですよね。

孤独は絶縁体。孤独の喜び。通じ合えない喜び。

そして嫌われる喜び。

こないだ紹介したマンガ記事もそうですし、なんか生きてるといろんな新しい喜びや救いに出会えるもんだなーって感動したりもしてるとこです。

とにかく「嫌われてもいい」どころか、「嫌われよう!」くらいの勢いで、自分らしく生きるほうがいいかもしれないですね。嫌われることは自分の世界の純度を高めること、断捨離や大掃除の一種ってことで。

一方どんなに嫌われようとしたって、自分らしくいたら自分のことを好きになってくれる人は一定数絶対いるんだし。

それはすごい絶対的安心感ですし絶対的喜びですよね。

もうその通じ合える喜びを感じるために、いらんやつらから嫌われてもいいっていうくらい。

このブログも(たまに汚言症かってくらいの)言いたい放題だけど、定期的に読みに来てくれる人がけっこういるんで、「私を嫌いな人はどんどん嫌って離れていってください!」って気持ちで気楽に好きに書いていこうと思います。

残ってくれる、少なからずの「通じ合える人」があきらかにいるので。

こんなブログ読んでくれるなんて、絶対価値観とかものの見方とか近いでしょ。

ほんと好きです、ありがとうございます!

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