怒りを出すようになって人生うまくいってる理由/「批判は何も生まない」って何やねん私ら世界を変えられますが?って話

前回「私は怒りを出すようになってからのほうが人生うまくいってる」みたいなことを言いましたが、そういえばネガティブな感情である怒りを出してるのになんでむしろうまくいってる感じなのかなって考えて、あーーー!!っと気づいたことがあったのでここに書き足しておきます。

結論としては、怒りで動くこと・自分の怒りを信頼することによって「自己効力感」がすごく強くなってるんだな、と。

怒りを出せなかった昔は、自分のことをすごく弱い存在だと思い込み、常におどおどビクビクしてて「怒りを出したら攻撃される、嫌われる」…って思い込んでたんですよね。そして「怒りを出したところで私には何も変えることができない」って。おとなしく真面目で従順であることが美徳とすら思い込んでました。いやもう奴隷かよって話ですけど…日本式の奴隷洗脳教育を受けてきたのでしょうがない。力を奪われてたんだなあ。

でも怒りをさっと認めてさっと出したり怒りに任せた行動をさっとするようになってからは、あーー怒りを出せば状況を変えられる、世界を変えられるんだ、って分かってしまって。

まさに自己効力感ですわ。

しょうもない例ですけど、私地下鉄の座席に座るたびに隣の人からひじを当てられてイライラすることが多かったんですよね。自分もちょっと当ててやろうかとカバンをごそごそ、携帯ごそごそしたってなぜか相手にあたらない…。

ずっとなんでだろーって思ってたんだけど、ネットで手足の短いネコちゃんが普通の長さの手足のネコちゃんとケンカしてる動画をみてやっと気づきました。手足の短いネコちゃんがどんなに相手を殴ろうとぽこぽこ手を繰り出しても相手にまったく当たらない。普通のネコちゃんがパンチを繰り出せば短足ネコちゃんにバシバシ当たる。つまり、私の腕が短いがために相手にひじが当たらず、一方的にガンガンひじを当てられ続けてきたんだ…!!

これまでただひたすら悔しい思いをして怒りをため込んできたんですが、それが分かったらもうあえて相手に「攻撃」をするようになりました。攻撃っていってもただ意識的にひじを当て返すっていうだけのことなんだけど。腕の短い私は普通にカバンをごそごそしたって相手に当てることはできない。なので、「当てたるッ!!!!!!」っていう強い意志をもってあえて相手をひじで押し返したり小突くようにしたんです。隣に座ってる人がカバンや携帯をいじる時に無遠慮に私にひじをぶつけてきた時に、すかさずひじで押し返す、っていうのを毎度やるようにしました。そしたらね、だいたいの人が私にひじを当てないように気を使ってくれるようになるんですよ。

この時すごく私を助けてくれるのは何を隠そう怒りという感情です。

怒りが私を守ろうとして、私に力を与えてくれる。怒りという感情を信頼して行動すれば状況を変えられる。

いやー怒りって素晴らしいじゃん!!って思いました。

それからもう一個、ちょっと下ネタな例なんですけど。うちのマンションのどこかの部屋の人がある時からすごくでかい声でセックスするようになったんですよ。それも昼間から。女のアンアン!アアアーー!!っていうどでかい声が長時間響き渡ってました。ただの騒音でも嫌なのに、きっしょい他人の喘ぎ声ですからね…公害どころの話じゃありません。それも近所には小さい子供のいる家もあるのに。それを二度三度とされて、気持ち悪さと怒りでどうにかなりそうだったんですが…。

四度目の被害時に私思い切ってベランダのガラス戸を開け、「うるせーーーー!!!!!!!」って怒鳴ったんです。そして網戸を何度もガンガンとサンに叩きつけて大きな音を出してやりました。恐怖の独居中年女性、ご乱心!!!!!!

…そしたら不思議なことに、その喘ぎ声はぴたりと止まり、それ以来まったく聞こえてこなくなったんですよ。もう二年くらい経ちますが、一度も被害にあっていません。

無理にガマンしてイヤホンで音楽など聴きながらやり過ごす、っていう手もあるにはあったけど、やっぱ怒りを感じながらガマンしてストレスためるより怒りにそってさっと行動したほうが断然いいんじゃんって思いましたね。怒りはあきらかに状況をいいほうに変えてくれる。

で、話がちょっと変わってスピリチュアル系とかの人が「批判はよくない、批判では何も変えられない。それより楽しいことや心地よいことをして波動を良い状態に保ちましょう」とか言ってることについてなんですが…

いやいや、批判ってすげー大事だし普通に世界を変えられますが???って思うんですよね。

批判や怒りやルサンチマンだらけのドロドロ人生になってしまったらそりゃ良くないでしょうけど…。適切に怒りや批判を出していくのはめちゃくちゃ必要じゃん。

スピ系の人ってよく「世界は自分が作ってる、世界は自分で変えられる。世界は自分の波動から作られる」って言ってて、それは究極にはそうなんだろうと私も思うんですが、やっぱ私たちこの現実世界に生きてるんでね。現実的な行動は必要だろと思うんです。

正直スピ系の人ってそんなに頭自体はよくなくて(頭脳がどうとかっていう悪口じゃないですよ、興味関心の持ち方や物事のとらえ方・思考の仕方っていうか。ちなみに私自身もアホなスピ系の一人ですが)言葉の意味とか社会の構造とかにはあんま知識も理解も興味すらもないこと多いなって思うので仕方ないとは思うんだけど。言葉を誤用してる人は異常に多いし、認識の齟齬ってのも多いんだろうとは思うんだけど。しかし有名スピリチュアルリーダーみたいな人が堂々と「批判」を「批判」しちゃってるのを見るとそのたびにうへえってなっちゃう…。

「ふわふわ系スピではなく現実的スピを!地に足のついたスピを!願っただけでは現実は変わりません、行動しましょう」って言ってる人がよりによって「私は政治についてはわからない。政治を批判したって世界は変わらない。そんな変わらないものに意識を向けるより自分の範囲で自分のできることをしましょう、自分の波動を整えましょう。国に頼ってちゃダメ、私たちは創造主なんです、地球よりももっと高い宇宙の意識になりましょう」とか言ってるとほんとズコー――ってなりますわ…。(ズコーーって言葉、今通じる??)

いやいやお前…逆にそんなにあなた無力なの??って。

私は政治は自分で変えられるとしか思ってませんが??私は自分の力を信頼してますが???この国は一応議会制民主主義の国であり主権者は私ら国民なんですが????国に頼ってるんじゃねえ、私たちが「国」なんだが?????ってなる。政治家は「お上」なんかじゃなくわれわれ国民に雇われた公務員であり、その政治家や官僚たちのやることが間違っていたらそれを批判し正すのは雇用主であるわれわれ国民の仕事ですが????????政治は与えられるものではなく、われわれ国民が監視し改善し作っていくものですが?????????そんな無力無関心主権放棄で大丈夫?????????ってなる。(まあ実際にはそのスピ系の人のほうが私よりも圧倒的に現実創造とやらをできるんだろうけどもさー。知らんが)

ちなみに政治家でも活動家でもないただの底辺オタクの私が、選挙権一票しか持っていない一個人の私が、なんでそんなに自分には政治を変える力があるって思ってるかっていうと、なんといっても「バタフライ効果」を前提にしてるっていうのがあります。

私は人に政治の話をするし、ネットでも(このブログではないけど)発信してます。それもできるだけ政治にあまり興味のない人に向けて発信するようにしてます。私一人の発信には限りがあっても、私の話を聞いた人が政治に興味を持って、政治の話をまたほかの人にしてくれて、それがどんどん広まっていって、そしてその人たちが選挙の投票に行ってくれたら。たった一人の発信がたとえば数万人に影響することだって普通にありえるし、それで選挙の結果が変わり政権交代だってできるはずって普通に思ってます。

正直、最近けっこうその効果を実感してもいますし。

全然無力じゃないじゃん。政治は変えられない大きなものなんかじゃないじゃん。普通にうちらの生活じゃん。

…まあちょっと政治の話は置いておいて。

なんかねー、私にとって怒りも批判も、今は自己肯定感・自己効力感に基づいてるからすごく好意的に肯定できるものになってるんですよね。愛おしい、素晴らしい、パワフルなもの。

ただ、一方「自己”無力”感」に基づいてた時の怒りや批判(てかルサンチマン)って確かにほんと地獄だったよなって思う…怒りってほんと自分を蝕む「悪いもの」でしかなかったなあと。あの当時を思い出すとたしかにやばかった…。

つまりは怒りや批判ってそれ自体が良い悪いというより、自分が自己効力感を持ってるか?持ってないか?っていうこと次第なんじゃないかと。そこを見ずして「怒りはダメ!批判はダメ!」って言うのって意味ないんじゃないかと。…そこの認識違いで「批判は悪い」vs「批判は大事」っていう真逆の意見もそりゃ生まれるわな、と気づいたんですよね。

冒頭で『怒りで動くこと・自分の怒りを信頼することによって「自己効力感」がすごく強くなってる』って言いましたが、そもそも自己効力感や自己肯定感に基づいた状態で怒りを出すから怒りは私のためにパワフルに友好的に働いてくれるし、怒りを信頼し怒りを働かせることで物事が変えられるからまた自己効力感が上がる、ということなんだな…。

さらには怒りを都度都度使うことによって状況が改善するので、怒ること自体が少なくなっていってる。怒りを我慢してた時代はほんと怒りだらけだったけど、今はあの頃と比べたらもはや天国みたいな、いい人しかおらんやんっていう状態になってますし。

なんか長くなっちゃいましたが…

とにかく怒りか怒りじゃないか、じゃねえ。無力か無力じゃないか、だ。

そして私らが無力なわけないし、私ら自身から生まれた「怒り」が悪いものであるわけないんですよねーー。

ちなみに自分をちょっと無力だと感じた時には「いやいやバタフライ効果があるから。今すぐは変わらなく見えても、私のほんのちょっとの行動が地球を巡り巡っていつかはものすごいことを巻き起こしちゃうから」とか、気休めに「まあ少なくとも質量保存の法則があるから。出せばその分絶対返ってくるから」って思うことはすごくおススメです。

さっき言った、パンチが届かないネコちゃん↓ つおい…

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