私ずっと自分の人生がうまくいかないのは、父親がものすごく怖くって、癇癪持ちというかキレやすいタイプで、幼児の頃じゃっかん虐待的なことをされてたから人間を、とくに男性を恐れてしまうようになった、っていうのが大きな要因の一つだと思っていたんです。
それがつい最近、またちょっと考えが変わりまして…
ちょっとっていうか、だいぶ大きく変わったのかも。
なんかねー、大嶋信頼先生の「すごい恋愛ホルモン」を読んでからの変化をこのブログで何度か書いてて、おもに恋愛というより母親との関係についてで、私ほんとすごいマザコンで母親を神聖視してて、でも今回なんかあれっ?っていうことがあって、母親って娘に嫉妬するしジャマするのかもね…っていう内容だったんですけども。
それでもやっぱり母親への依頼心とか思慕とか執着心っていうのはとても強かったんですけど。
…先日、急にある過去の場面が鮮烈によみがえってきまして。
それはまだ幼児のころ、父に叩かれ叱られ、何をどうしても許してもらえず床に這いつくばって引き付けを起こすほど泣きながら許しを請うてた場面なんです。
その記憶自体は忘れてたわけでもなく、むしろたまに思い出して「お父さんは本当に怖かった、ひどかった。しつけとは言え、なんでいたいけな幼児を、それもわが子を、あんなにも叩いたり怒ったりできたんだろう。あいつのせいで私は人間が怖くてまともな人間関係を築けないんだ!」ってずっとずっと悔しくなったり怒りを燃やしたり憎んだりしてたんですよね。
変な話、生きづらさを感じながらうまくいかない人生を歩んできた私にとっては、この記憶って逆に拠り所になってるような感覚もありました。
「私こんなひどいめにあってきたんだから人間がこわくて当たり前でしょ、男がこわくて恋愛できなくて当たり前でしょ、人と親密な関係が築けなくて当たり前でしょ」って思えるから。
だけどね~~
今回よみがえってきたのは、それと同じ場面の記憶ではあるんだけど、ポイントが全然違ったんですよね…
声を枯らすほど、もう引き付けをおこしてしゃっくりが止まらなくなるほど泣きながら、私その時お母さんに助けを求めてたんです。なんとか許して欲しい、この場から救って欲しい、っていう一心で母に訴えかけてたんです。
そう、父の隣には母がいたんですよね。
「かあっさ、おかっ、さっ、カハッ、」ってほとんど言葉にもならない言葉で母に助けてもらえるよう訴えかけてたんですけれど…
…それを母は見ながら、困ったように父の影に隠れてたんです。
たまにオロオロしながら父に向かって「もういいじゃない、許してあげてよ」とは言ってたけど、私のほうには来てくれなかった。
私を抱きしめて守ってくれようとはしなかった。
そして私も母のもとには行けなかった。父がそれをジャマするし、父には怖くて近寄れないし。
うーーん、世界一大好きで頼りにしてる母親に、本当につらくて悲しい時に、実際には目の前にいるというのに助けてもらえてなかったし、それによく考えたら抱きしめられた記憶もほとんどないんですよね。
優しい言葉はいくらでも言ってくれるのに…。
↑やばい…これもしかしてダブルバインドってやつなのでは…今頃やっと気づいた…。
行動で突き放されたり冷たいなあって思うことがあっても、言葉がとても優しく温かく耳障りいいので逆に母に対する執着心を強くしてきちゃったのでは…
私の状態って大嶋先生の本とか読むとけっこう母親にネグレクトされた人のパターンにあてはまるので、ずっとおかしいなーって思ってたんですよね。
なんで私ってネグレクトされた人みたいな症状で苦しんでんだろ、私むしろ母親からは過保護に育てられたのになって。
うちのお母さんはとても優しい人なのになって。
この、母に助けてもらえなかったという記憶はしっかりあったのにも関わらず、なぜかこれまでずっと長い間「お母さんは優しい、お母さんは人格者」っていうイメージしか持ってなかったんですよね。
お母さんって今思うと事なかれ主義というか、たとえば私がもしも学校でいじめられたとしても、「じゃあ学校に行かなくてもいいよ」とは言ってくれるだろうけど、いじめっこやその親や先生のもとに怒って何かを言いに行ったりは絶対しないだろうし、積極的に守ってくれるということはなかっただろうと思う…。
そしてですね、最初に言ったようにうちの父って若い頃ひどい癇癪持ちで怒ると手がつけられなくなるような人だったんですが、モノを蹴ったり壊したりということはあっても、そして私を叩いたり理不尽に叱りつけたりということはあっても、母にだけは手を出さなかったんですよね。
それを私は「お父さん若い頃はあんなにひどい男だったのにお母さんに暴力ふるわなかったというとこだけはえらかったな」なんて思ってたんですけど…
おいおい待てよ。
幼児を叩いておいて大人の女性を叩かなかったからってえらいもクソもないだろ。
なんでお父さんはあんなに小さかったわたしを、泣き喚くわたしを、平気で叩けたの?
そしてなんでお母さんはあんなに小さかったわたしが助けを求めても困ったようにオロオロするばかりで、実際に助けてはくれなかったの??
ああ…なんだかあの幼児の自分が泣き喚いてた場面を思い出すと、あの時の母の顔を思い出すと、私を助けることもなく父のうしろにいた母がなんだか私を父の怒りやストレスへの生贄として父に差し出していたようにすら思える…
でもこれね、
私って母親の犠牲にされてたのか!
お母さん聖母の顔してなんて恐ろしい女なんだ!
…って言いたいわけじゃないんです。
私も今大人になって、親だからってそんな人格者になるわけでも子供が第一になるわけでもないだろうし、ストレスのはけ口にすることもあるだろうし暴力からの隠れ蓑にすることだってあるかもしれない、って思うんですよね。
自分が子供をもっていないからそう思うのかもしれないけど、でもやっぱ所詮は人間じゃん、って。
だから父や母を憎むとか恨むっていう感情はほとんど、いや今はまったくない感じなんですよね。
それよりよくもまあこんな手のかかる子を、長い年月かけて大事に育ててくれたものだなあと感嘆するくらい。
でですねー、大嶋先生がちょうど最近のブログでも『人間は全て同じ~!「義人はいない、一人もいない」なので嫉妬の発作を起こさない人っていないです』っておっしゃってましたけど、以前はそういうこと聞いても「でもうちのお母さんだけは違う!」って思ってたのが、今回「ああそうか」ってするっと飲み込むことができたんですよね。
考えてみれば自分も友達や家族に同じことしてたり思ってたりするしなーって。
優しく穏やかな聖人みたいな顔して心の中では嫉妬の嵐だったり、置いていかれるのはいやだからなんとか足を引っ張れないかと思ってたり、反対にいざと言う時には友達を置いて逃げるかもしれなかったり(こわいね~~~!!)
「フレネミー(フレンドとエネミーを掛け合わせた造語。友達のふりした敵)」っていう言葉がちょっと前に流行ってましたけど、それって親子間でも、いやほんとどんな間柄であってもふつーにありうる関係なのかも。
自覚的なものや自発的なものではなく、動物的な発作や保身からだと思えばそんなにおかしなことでもひどいことでもないのかも。
ダラダラと相変わらずまとまりないことを書いてますが、ちょっと今回私が一番「おおっ!」って思って、一番このブログで言いたい!って思ったことがあるんで聞いてください。
それは「聖母のような母が実は表面的にしか優しくない保身的なひどい女だった、私は母からダブルバインドにかけられていたからこそずっと母に執着し精神的に自立できなかったのだ、生きづらさの大きな原因は母にあったのかもしれない」…っていうことじゃないんですよ。
なんかね、不思議なくらい、今心がおだやかなんですよ。
こんなショッキングなことに気づいてしまったのに、何か別にいっかって思えるんです。
なんなんだこの静けさは~~~!
また大嶋先生のブログの話になりますけど、
「原因の予測が間違っている(帰属エラー)と怒りなどの負の感情が消えず、いつまでもグルグルと悪循環を繰り返す、怒りを増幅させる」
「本当の原因がわかれば「腑に落ちる!」という感じで「怒りは静まった」となる」
「「怒りがいつまで立っても収まらない!」という場合は「原因が間違っている!」という可能性がある」
みたいなことを最近おっしゃってましたよね。こちら
うおお…そういうことなのか…本当の原因か……
問題が消えたわけではぜんぜんないはずなのに。
原因を本当に見つけて見つめることができたら、それだけでなんかもう気持ちがすっとおさまって、問題が問題じゃなくなるのかもしれないですね。
…そのことを言いたくて、長々とこの記事を書いたのでした。
子供の頃父が恐ろしかったということが自分の生きづらさの大きな原因のひとつだ、父のせいで私の人生うまくいかないんだ、あの頃の父が憎いっていう思いをずっとずっと「拠り所として」大事に握り締めていたんですが、…むしろその時のことで言ったら「大好きな優しい母に助けてもらえなかった」っていう絶望感や孤独感のほうが自分にとって大きかったってことなんでしょうね。
ぐるぐると回っていた負の感情の輪がすーっと静かに止まったので、きっとそうなんでしょう。
ほんと今までそんなこと全然思い当たらなかったのに。
あとまあずるいことだけど、「被害者」でいればどこか楽でいられたんですよね。本当は私、負の感情を好き好んでぐるぐるしてたのかな。いや~お父さんごめんね。なんだかんだで大事に育ててもらったのにね。
握り締めてたものをひとつ手放すことができるかもしれません。
まあほんと実際には何にも変わったわけではないんだけど。
でもとりあえず「本当の原因」のひとつが分かった今、そこにアプローチしていけばいいんじゃん!!っていう現実的な希望も見えてきたし。
大嶋先生の「過去を変える方法」をその場面に対して使ってみよっと。
まだちゃんと実践してないのですが、やりがいありそうだし変化ありそう。
↓「自己肯定感が低いあなたがすぐ変わる方法」過去を変える方法などがいろいろ載ってる本
今日はハイな感じで記事かいといて、次またこないだみたいに「やっぱお母さんは私を見捨てたりしてませんでしたぁ;;本当に優しくて人格者で聖母なんですぅ;;」って言い出すかもしれない情緒不安定マザコン女なので、これからどうなるかわかんないですけどね!
とりあえずブログに書いてまた気持ちや考えがすっきりしました。
なんにせよ書くっていうのはほんとに効果ありますね。