たまたま目にした文学紹介者・頭木弘樹さんのこのツイートに、すごく共感したのでここに貼っておきます。
持病があるため、新型コロナを警戒して、ずっとひきこもっているのだけど、今日はいいお天気だったので、久しぶりに少しだけ散歩してみた。
『食べることと出すこと』にも書いた、周囲の風景が後ろに動いていく、3Dアトラクション現象が起きてしまった!
これはまずい。ひきこもりすぎということだ。— 頭木弘樹📕潰瘍性大腸炎 新刊『食べることと出すこと』医学書院 3刷御礼 (@kafka_kashiragi) September 30, 2020
この感じ~~~~!!!すっごく分かるんだけど!!!!
3Dアトラクション現象!!!
…これってまずいのかな?
自分が歩いてるのに、自分の位置は変わらず、世界が後ろに動いてくこの感じ。
まあたしかに子供の頃は「これ」になると、すごく怖かったな…
誰に助けを求めていいかわからず、うわーーって叫びだしたいようなあの感覚…
世界が現実感を失って、ゲームとかテレビの世界みたいになっちゃう感覚…
大人になってこれって「離人症」とか言われるやつなのかな?って分かって。(私の場合は世界があいまいになるっていうより、逆にありありと解像度上がってくる感じがしらじらしく思えたりする感じなんですが)
ただ、その後さらにスピリチュアルとかの考えなどをかじった今となっては、これはむしろ正しいことなんじゃないのかとも思うようになった。
世界は私が作り出していて、私のためにある、っていうのはスピ的な考えの基本だし。むしろこの感覚にこそとどまっていましょう、って言われてるし。
なので今はコレが来ると、よっしゃ!って思えてます。
それでも、やっぱこわいな、まずいな、っていう感覚もいまだになくはないんですけどね…
人を見るとウイルスに見えるのではないかと不安だったが、そういうふうにはならず、むしろ、人間という生き物をすごく愛おしく感じて、意外だった。それぞれに形がずいぶんちがい、あちこちで歩いたり動いたりしている。ある人が、靴が脱げそうになって、はき直している動作に、なぜかすごく感動した。
— 頭木弘樹📕潰瘍性大腸炎 新刊『食べることと出すこと』医学書院 3刷御礼 (@kafka_kashiragi) September 30, 2020
↑この感じ、私もこないだこのブログで書きましたが、ほんとなんだか人が愛おしく、世界が美しく愛おしく思えるんだよね。
すごくわかる…
いっこいっこ、形や動きがちがう…
遠くでいぬが鳴く、空気が香る、どこかのうちに宅配便がきて「こんにちはー」なんてでかい声で言ってる。
やばい、すごい、かわいい、愛おしい…泣けてくる…
この感覚、引きこもり以外では、高いビルの窓なんかから道を歩く人を見下ろしたり、離れたビルの屋上で缶コーヒーか何かを飲んでる人やストレッチしてる人を見たりした時にわりと似たものを感じるかな。
そんな、人間動物園に行ったような感じになってしまうのも、あきらかに、ひきこもりすぎということで、危険な感じだ。
運よく、3匹のヤギが草を食べているところも見ることができた。
落ち葉で焚火をしている人もいて、そのにおいにまた、すごく懐かしくて感動した。子どもの頃、よく焚火をしていた。— 頭木弘樹📕潰瘍性大腸炎 新刊『食べることと出すこと』医学書院 3刷御礼 (@kafka_kashiragi) September 30, 2020
あきらかにひきこもりすぎ、かあ~~~
スピった脳で考えたら、この方すごく悟りに近づいてる感じするけど、でもやっぱまずいし危険というのもそれはそれですごく分かる…
私も子供の頃、世界に本当は自分ひとりしかいないんじゃないか、この世界は私に見せるためだけに神が作ってる「まがいもの」「つくりもの」の世界なんじゃないか、テレビドラマを見ているのと同じようなことなんじゃないか、って思って怖くてたまらなかったもんな。
そんな時、くそくだらない新聞折込のチラシなんかを目にすると、そのどうでもよさ、どうでもいい細かさにすごく心を救われ、なんとか精神を支えられてたもん。
神がわざわざここまで細かいことするかよ、ここまでわざわざ猥雑なことするかよ、大丈夫だよ、世界はちゃんとあるんだよ、このチラシは人が作ってんだよ、たくさんの人の意図や思惑があるからこそこのチラシはこんなふうにわざわざ存在してんだよ、私以外の人間はちゃんとここにいるんだよ、って思えて。
いまさら何を言っているのかだけど、植物ってすごい複雑。そしてその複雑さに、なぜかすごく魅了される。
そして、空って、高い!— 頭木弘樹📕潰瘍性大腸炎 新刊『食べることと出すこと』医学書院 3刷御礼 (@kafka_kashiragi) September 30, 2020
そうそうこの、植物の複雑さに感動する感じ…わかるぅ…
私がチラシのくだらなさに感動したのと、ある意味では同じなんじゃないかなって、勝手ながら思ってしまいました…
ふ~~~
作られたシルバニアファミリーの箱庭にいるのか、どこまでも広く複雑な世界にいるのか、これは私の作った世界であり私の知らない世界なんてないのか、まだまだ知らない世界はあるし知らないまま終わる世界もあるのか。
この世に「他人」は、果たしているのか。
子供の頃みたいにこんなことを考えてると、スピリチュアルこえ~~;;っておびえて泣きそうになる時もあったりするけど、でもまあ最近はその考え自体をけっこう楽しくも感じられるようになってます。
そんなこんなでスピスピしたスピにはまりこみまくってるけど、今回のこの頭木さんのツイートで、あーこれってひきこもりすることで起こる現象なのかーーwってちょっと現実的に落ち着いて認識することもできて、なんかよかったな。
逆に言うと、ひきこもりをすることでやっぱり世界は愛おしく見えてくるんじゃん!3Dアトラクションみたいに見えてきて、スピ的に言う「悟り、目醒め」みたいな状態にもっていけるんじゃん!やっぱひきこもりって大事だわ~!って思いましたしね。
世界がこわかったり憎かったりするのは、結局その世界に頭をつっこんでしまってるからなんだろうな。
スピであれ、ふつうのライフハックであれ、世界がしんどい時はそこからしっかり距離を置くのが一番だし、遠く(高いとこ)から見たら世界って基本的に愛おしく見えてくるものなのかもしれないな。
ちなみに…
今回の話とはそれるけど、頭木さんのこのツイートがとてもよかったです。
自分もちょうどこのことについて思うところあったので、これまためちゃくちゃ共感した!!
共感は気持ちいい…
みんなさあ、死んでいく人から、「一日一日を大切に生きること」を学んだりするの、ほんとやめてほしい。
死んでいく人は、生きていく人たちの生きる喜びを高めたり、退屈に思えていた日常に輝きを取り戻させるために、死んでいくわけではない。
死者を踏み台にして、生の高揚を得ようとしないように!— 頭木弘樹📕潰瘍性大腸炎 新刊『食べることと出すこと』医学書院 3刷御礼 (@kafka_kashiragi) September 29, 2020