3人以上で集まって会話するのが苦手なのは「聴覚情報処理障害」のせいだった?!

聞いてください…今日ツイッターで流れてきたんだけど…

「聴覚情報処理障害(APD)」って知ってました??

私はこれ読んで「私もこれだ!これだったわ!」って思って腑に落ちたというか、なんかちょっとだけホッとしたというか肩の荷が下りたんでここで紹介しておきます。

すごい共感されてバズってるみたいだし、同じ症状?の人、きっとすごくたくさんいるんだな~~

↓↓↓

「聴覚情報処理障害」か…

言葉としては初めて聞きました。

「耳は悪くないしむしろ声はよく聞こえるのに、相手が何言ってるのか分からない」…

ほんと私もまさにそれで、子供の頃はすごく悩んでいたんですよね。

緊張する相手かどうかとか、好きな相手か興味ない相手か?とかはほとんど関係なく、先生の大事な話も、好きな友達の言葉も、1対1で私に向かって話してくれているというのに、どんなにがんばっても聞き取れず、うやむやにしてごまかしたり聞き返しすぎて怒られたり…ということの連続。

あまりにも聞き取れないので耳鼻科に行って聴力を測ってもらったんですが、医師からは「むしろ耳の聞こえはいいほう」と言われ…

そのうえ「問題があるのは頭でしょう」と言われ。

なんやねん、頭の問題って…。

かといって、じゃあ頭をどうすればいいのかという解決策は出されず、こちとら困惑するばかり。

…ほんとお手上げでした。原因というか理由もわからず、そのままだましだまし生きていくしかありませんでした。

まあ自分の場合、とくに子供時代はめちゃくちゃ注意力散漫で常に空想にふけっていたので、たとえ目の前で人が大事な話をしていてもすぐに上の空になってしまうというADHD的な傾向が強く出てたんだろう、と大人になって気づきましたが。

…でもちょっとおかしいな、すごくがんばって集中して聞こうとしてても聞こえない、どんなに落ち着いてるつもりの時でも言葉の意味が頭に入ってこないなんて…?とも思ってて。

それが「聴覚情報処理障害」という言葉を知って、そのウィキを読んで、腑に落ちたんですよ!

「聴覚情報処理障害の場合は、注意欠如・多動性障害の患者のように、注意力に問題があって音声の意味を解せない(早とちりする)のではなく、あくまで脳において音声情報の処理に問題を抱えているために、注意力などは充分であっても上手く音声を解釈できないといったことが起こる。つまり、本人が真剣に言葉を聴き取ろうとしても、単に音声が聞こえているだけで、言葉として聴こえていないといったことも起こり得る。」

あ~~~めっちゃ納得!!

てか耳鼻科の先生が言った「頭の問題でしょう」って、やっぱホントだった…w

よく、なんでも発達障害のせいにしようとする人、自分にはこの障害があるんだ!と主張する人を揶揄したり嫌ったりするような風潮はあるけど、でもやっぱ自分のつらさうまくいかなさの理由を知るとちょっとなぜだかほっとする感じあるし、同じしんどさを抱えてる人がたくさんいるって知るとちょっと心強くもなるんですよね。だからちょっとくらいは許して欲しい。

まあ私は子供の頃と比べるとかなりいろんな障害というかままならなさが軽くなっていってる感がすごくあるので、あきらめずにまだまだできるだけ楽になりたいと思っているし、できることならこれからも「普通」レベルに近づいていきたい、もがいていきたいと思ってもいるんですけど。

ただ…、いろいろ生きづらさが軽くなっていってて、人間関係もラクになっていってるハズとはいえ、それでもたとえば3人以上で集まってしゃべるのがとても億劫だったりうまく会話に参加できず辛かったりして、自分の根本的な性格の暗さ・消極性を自己卑下してしまったりたまに絶望してしまったりもするんですよね。結局全然進歩してないじゃん、って自分を責めて。

そんななか「聴覚情報処理障害」というものを知り、自分はウィキにあったように雑音の中で自分の聞きたい音を聞き取る「カクテルパーティ効果」が人より機能しないんだと思えば、まあ仕方ないよねって自分のこと許せるように思えたし、みんなでワイワイやるのがしんどいのは人間嫌いだとかじゃなく脳機能のせいなんだ、ってある意味あきらめがついて結構気が楽にもなったんです。

これからは3人以上で会話する時にうまく話に入っていけなくても、複数人で集まることに消極的になってしまっても、以前と比べてムダに自分を責めることはなくなりそうです。

だって話が聞こえないんだもん、言葉が聞き取れないんだもん。そりゃしんどいわ。ついつい避けてしまうわ。

これはもう自分の脳の障害というか性質、性向なんだからしょうがないわ。

ひっそりと少人数の気の合う人たちとだけ仲良くしてられれば、それが私の、私なりの幸せなんだわ、…って。

…うーん、今日はほんといいことを知ることができました。

自分の性質を認めて無理はしすぎずに、できるだけ楽しく生きていく工夫をしていこう。

まあほんと何度もこのブログで言ってる(自慢してる?)ように、私はかなり生きづらさが減っていってる自覚があるし、聴覚情報処理に関しても考えてみたら子供の頃とは比べ物にならないくらいマシになってきたと思うので、これも今後さらに軽くなっていくといいなと期待もしてはいますが。

脳の性質といっても改善するんじゃない?って思ってますが。

↓こういう本も出ているみたいです

…でもさあ……

これ強がりとかじゃなく、もし仕事とか日常生活に支障さえなければ、べつに大人数でワイワイやりたいともほんと思わないしそういうパリピとかリア充と言われる人たちのこと全然うらやましくないし別にそんな好きでもないし、自分ひとりで好きなことしていたり好きな人たちと1対1でひっそりと仲良くやってるのがまじで私は好きだしそれで十分幸せなんだよね。

子供の頃と違って、今は1対1の時の会話はわりと聞き取れるようになってるし、1対1ならそんなに問題ないんだよね。

みんなでワイワイやることが人としての幸せ、とか人として格が上、みたいな風潮がなんとなく世間にあるだけなんだよね。(そんなのどうせ脳筋の広告代理店とかが作り出してるただの幻想なんでしょうけど)

それはべつに私の求める幸せではないんだよね、じっさいのとこは。

…ラクになりたい、生きづらさを解消したい、とは言いつつも、でもそこはあんま見誤らずにいきたいな…って改めて思いましたね。

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