東日本大震災を機に自分におこった個人的な大きな変化(スピ・風水・腐女子など)について

東日本大震災やそれに関連する事故などで亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

また、いまだに避難生活を余儀なくされている5万人超の方々の生活が少しでも早く落ち着きますように。

今回、東日本大震災が直接的にであれ間接的にであれきっかけとなって起こった自分の変化について、本当に個人的なことなんですがちょっと書き記しておこうと思います。

書くことで何か見つめなおしたりできる部分もあるかな、という程度の感じなのでまとまりも答えもないと思いますが…

私の場合、風水とかスピリチュアルへの向き合い方の変化がかなりあったので、とりあえずこのブログの趣旨に合ってもいるかなと思い書いてみることにします。

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じつは私はあの震災が起こるまで軽い鬱みたいな状態で、2年間くらい寝ても起きても恐怖感や不安感、絶望感に押しつぶされているようなけっこうひどい精神状態にありました。

週2,3日事務のバイトをしながら漫画家をやっていて、表面的には普通だっただろうし収入もあるし友達もいるし自分の生活自体はそれほどひどいものではなかったのですが、あることへの恐怖心がものすごく膨れ上がっていてパンパンの水風船をつねにこわごわと持ち歩いているような、もうそのことへの恐怖しか感じられないような状態、何をしててもつねに生きた心地がしないという状態だったんです。

死にたくはないけど生きていたくない、と日々思っていました。

いっぽう、風水やスピリチュアルにはものすごくはまり込み、何度かこのブログでも言ってるんですが旅行風水などはかなり精力的に実践していたんです。

生きていたくないと感じつつも、なんとか幸せになりたい、ラクになりたい、と現世利益をめっちゃ追求していたんですよね。

あの日は旅行先で迎えました。

旅行風水の、旅先でです。

たしか3.11の前日が大開運日だったんですよね…

一人で旅行していたのですが、3月の平日ということもあり観光客は少ないというかほぼ吉方位旅行で来ている人だけという感じで、同じ目的で来ている女性達数人と出会って仲良くなり、一緒にぶらついているときに地震が起こりました。

ただ、私達がいたところは東北ではなかったのでそこまで強い揺れではなかったのですが。

テレビを見てびっくりしました。

もう日本は終わったんだ、とその時は絶望しました。

旅行中に仲良くなったひとりの女性とたまたまホテルが一緒だったので彼女の部屋におじゃまして、二人で呆然とテレビニュースを見ながら一晩過ごしました。

東京に戻り、ずっとぽっかりと穴の開いたような感覚と恐怖と悲しみ、そしてものすごく強い罪悪感を感じ続けていました。

地震・津波だけでなく、原発事故が自分にとってはものすごく大きかったです。東京電力の電気を使って生活していますし…

被災地の方々はあんなに苦しんでいるのになぜ私達はこんなに普通に生きているんだろう?と思うだけで罪悪感に責め立てられていました。生きているのがなぜか申し訳ない感覚でした。

それとはまた別に、旅行風水というものに対する強烈な猜疑心も生まれました。

さっき言ったようにあの日は大開運日の翌日で、被災地域は多くの東京在住者にとっての大吉方位(たしかそのとき北東方位が大吉方位だった人が多かったはず)だったんです。

開運したくて吉方位旅行に行って、旅先で被災した人も多くいるかもしれない…

そう思うとなんだかやりきれない気持ちでいっぱいになりました。

開運どころじゃないじゃん、って思いました。

そしてああ私は何をやっていたんだろう、何に縋ってたんだろう、と思いました。

そうしてめちゃくちゃはまっていた旅行風水をほぼやめてしまったんです。
(旅行風水に関しては、このブログで何度か言ってるけどはまりすぎて疲れていた、というのが強いかもしれないけど)

あと、風水以外にはまっていたスピリチュアル関係にもどんどん興味を失うようになりました。

その頃は蝶々さんというブロガーの人が女子向けスピ業界でのリーダー的存在ってかんじだったんですが(あくまで個人的イメージ)、彼女(や、そのほかにもスピリチュアル系ブロガーの人たち)が「この震災は地球の波動を上げるための浄化、デトックス。亡くなった魂は汚れた地球のエネルギーを持って光に帰っていってくれたのだ」みたいなことを言っていて、それが真実だろうとなんだろうと個人的にはああもうダメだ、こういうのはもう私はついてかなくていいや、って思うようになって。

震災後しばらくは縋るものを求めてスピ関係のブログなんかを読み漁ってたんですが、いつの間にかだんだん興味を失ってほとんどのスピ系ブログをブクマから外したんです。

ここ数年は、ブクマしていつも読んでるスピ系というか不思議系?ブログって大嶋信頼先生のブログだけという感じです。

私はそれらから離れてラクになりました。

ラクになったというのは、私の場合もともと必要以上にのめり込んでいたから、だと思います。

スピが悪いわけではないです。基本的には今もやっぱり信じています。パワースポットだとか不思議な話とか大好きだし、星占いとか風水だって今も好きだし。

今はわざわざスピ系ブログなどを読みに行ったり本を買ったりすることはないけれど、ちょうどいい距離感でスピリチュアルとかも楽しんだり活用したりできたらいいなと思っています。

あと震災前はスピ系と近いところでナチュラル系にも傾倒してて、マクロビとかもやってましたが、今は自分が食べたい物を食べたいように食べています。肉とか以前より罪悪感無く食べるようになったと思います。コンビニ食とかインスタントとかはもともと嫌いなのでめったに食べませんが。

ちなみに、いっぽう震災前からずっと続けているのはヨガとか、あと布ナプキンとかです。

これは続けてて本当によかったと思っています。ナチュラル系の暮らしが悪いわけでもなく、よいところも当然たくさんあって、だからといって必死にやるものでもないな、って今は思っています。

それからこれは自分にとってとても大きなことだったのですが、震災から数ヶ月たった頃に急にものすごくオタク、ものすごく腐女子になってしまったんです。

テレビやラジオをつければ震災のことばかり、考えるのも震災のことや原発のことばかりという日々に疲れてきて、現実を見たくなくて、とにかく現実離れした幸せな世界に触れたい、と思ってネットを徘徊しているうちにあるBL作品に出会ってしまったのがきっかけでした。

それまではそこまですごく腐女子というほどでもなかったのですが、その出会いを機に坂道を大玉が転がるようにもうどうにも止められない勢いで腐女子になっていたんです。

すごく焦りました。こわくて心理カウンセリングも受けました。でももう「治す」ことなんてできませんでした。なぜなら病気でも不具合でもなんでもないので…

今思うともともと素養があったのを理性で必死に止めていて、震災がきっかけで箍がはじけとんだ感じだったんだ、ただ本来の自分になっていっただけなんだ、と思います。

また、今は腐女子になってよかった、ここが私の納まるところだったんだ、と思っています。

腐女子うんぬんだけでなく、いつも必死にブレーキをかけて生きていたことに気づきました。

それまで私には「恥ずかしい、まともにならなきゃ、普通の人間にならなきゃ」という思いがずっと強烈にあったんですよね。

でもいったん腐女子になることを自分に許したことで、崖から落ちないように必死にしがみついていた手を放しただけで人生ってとてもラクになれるんだということを知ったのです。

べつに腐女子になっても死にはしませんでした。腐女子でもなんでもない人にわざわざ「私腐女子なんだ」って言う必要も義務もないし、人からわざわざ白い目で見られることもないし、たとえ白い目で見られることがあったとしてもそれが何か?という感じだし。

人は私のことをわざわざ気にしてはいないし、わざわざ気にしてる人がいたとしたらその人にはその人の問題があるだけなんだと思うようになりました。

崖から落ちてもそこは気持ちのいいプールで、ただぷかぷか浮かぶだけだった、という感覚です。

腐女子になったおかげというか腐女子になることを自分に許可したおかげで、今はかなり幸せだしラクに生きられるようになりました。

あと、これも自分にとって大きかったのですが、震災を機にテレビを手放しました。

震災と原発のニュースを見続けるのがつらくなってテレビを全然見なくなり、その年の7月にあった地デジ化のタイミングでテレビを手放したのです。

ものすごく生活が楽になりました。

これは本当にやってよかったです。

今もテレビは大好きなんですが、でももうテレビのある生活には戻りたくないと思っています。

テレビがどれだけ恐怖心を煽り、消費欲、そして「一般化欲」を煽っていたかを身をもって知りました。テレビによる洗脳、不安や焦りの植え付けによって鬱っぽくなっている部分もあったと今になって思うくらいです。

「普通の幸せ」という幻想を夢見て、普通の幸せを得られない自分の人生を呪っていましたが、「普通の幸せ」なんていうものの大半はテレビなどのメディアによって作られたものだったのかもしれません。

テレビのない生活になることによって呪縛から解かれたような軽々とした心地よさを感じました。

代わりにネットをつねに見るようになってしまいましたが、テレビよりはずっとラクだし、あとパソコンスキルも上がるので仕事などにも役立っています。

ただ、テレビを見ないことでいわゆる「世間一般層」からは共有できる知識も人間像もやっぱり少しずつずれていってしまうのを感じています。まあこれは仕方ないことですよね…。ただ、時代が変わればテレビを見てる人のほうが少数派になるでしょうし、すでにその流れはできていますし、べつにいいかと思ってます。

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長々ととりとめもなく書きましたがこれが震災後に起こった自分の変化、自分の生活の変化です。

もちろん震災がよかったなんて微塵も思ってはいません。

ただ、震災を機に「今生きてるうちに生きないと。自分は自分のために生きないと。もう重たいもの・違和感を感じるものはとてもじゃないけどしんどすぎて持っていられない、わざわざ世間体とかも気にしてられない」と思うようになったし、実際手放して身軽になったなと感じています。

いや手放したというより、震災以降なにかを持つ・抱え込む・押さえ込む・縋りつくといった握力が極端に落ちてしまって、どんどん取り落とすようになった感じなのかも…

あと、震災を機に旅行風水について懐疑的になった、という話をしましたが、このブログで何度か書いてるように一度はやめていた旅行風水を今はまたちょっと再開してまして、震災前みたいに必死にやるつもりはないけれどやっぱり面白いからやれる時には無理しない程度にやりたいな、と思ってる感じです。

スピリチュアルなことにもやっぱり興味はあるし基本的にほんとに好きです。このブログも一応そういったことについても書きたくて書いているつもりだし。

私はオタクなのでのめり込んでしまいがちなのですが、これからはできるだけエンタメとして楽しめるくらいのレベルで取り入れていきたいです。

震災前にあった鬱みたいな症状は、震災をきっかけに自分の中からいろんなものがボロボロ抜け落ちていく中で、いつのまにかほぼ消えていました。震災前の2年間くらいものすごく苦しんでいたのですが、なぜか治療もせずに自然に治ったんですよね。

不思議なんですが、まさに憑き物が落ちたという感覚です。

ただ、今もたまにあの感覚がよみがえりそうになることはあります。

基本的には私は自分の人生に絶望しているし、ふと暗い底なしの湖の上に張った薄氷の上を歩いているような感覚になるし、今も「死にたくはないけど生きてもいたくない」と思いそうになることはしょっちゅうあるんです。

せっかくこうして生きていられる、生かしてもらってるというのに。

それがどれだけ奇跡的なことか、忘れてはいけないですよね。

3.11を今年も迎え、生きていられることのありがたさについてまた改めて見つめ直したいと思います。

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